|
|
|
◆音楽と最初の出合い |
◆きっかけ |
|
ネコイラーズ (1968〜1969) もともとはゴブリンズという名前でPPMスタイルのBANDだったが女性の扱いがうまく行かず 中学時代の同級生で仕切り直し。1968年結成。A.F.L. FOOTSに出演した高校生バンド 当時髪の毛を伸ばしかけていた僕を見て親父が「お前はなんぼ毛を伸ばしてもタイガース みたいにはなれへんせいぜいネコイラズや」と言ったのが命名の由来。 代表曲 戦いは一度でいい 今日も夢見る フンタリヨン他 |
|
ディビークロケッツ (1969〜1970) 大学受験を控え『ネコイラーズ』を解散したにもかかわらず、やっぱ「Traditional Folk」やで と大学受験をモノともせず結成。このころからBanjoを弾き始める。教則本がなかったので 坂庭省悟先輩のステージを見るのが(当時ソリタリーシンガーズ)唯一の学習法であった。 代表曲 グリーンバックダラー ジョンB号の難破 GYPSY ROVER 他 |
|
HOGY MOUNTAIN BOYS (1970) Banjoを弾き出した僕はTrad Folkからお決まりのようにBluegrassへと転身。 中島要次らが主催する『butter&eggmen concert 』にこのバンドで出演するが 実力が伴わずすぐに解散。写真で見てもこのバンドはBluegrassを勘違いしているようだ。 その後、このバンドで意気投合した井芹まこと(のちにナターシャー7)と共に 「Nashvill」「Honky tonk」等のライブハウスでセッションをくり返す。 代表曲 Lonsame load blues O. B. S. Roll'in my sweet babys arms 他 |
|
FolkのときはBleeker street quartet、Bluegrassのときはライブハウスへ といった音楽生活をしている時に、Hogy mountain boys以後、熊本に帰っていた 井芹まことが上京。九州で高石ともやに出会い「新しいバンドを創る」との誘い。 BASSで参加。わずか1月程度の活動であった。(ゆえに写真がない) 代表曲 ランブリンボーイ オールドジョークラーク 思い出の赤いヤッケ 他 |
|
はしだのりひことエンドレス (1971〜1973) 以前にA.F.L.FOOTSを主催していた端田宣彦が突然、解散したはずのフォーククルセィダーズに 参加し、あれよあれよという間に時の人となる。フォークル解散後、 シューベルツ、クライマックスとバンドを結成しては解散し、 最後に作ったのがエンドレスであった。クライマックスでBanjoを弾いていた 坂庭省悟の後任として参加。 代表曲 嫁ぐ日 時は魔法使い 初恋物語 他 RECORDS 時は魔法使い/海はきらいさ 嫁ぐ日/霜の音 初恋物語/青春は涙の旅 ALBUM ENDLESS Vol.1 |
|
|
PINK PANTHER (1974) COUNTORY UNRIMITEDで「これはいける」みたいな確信を持ち、 これをプロのバンドにしょうとメンバーチェンジ、名前も一新。 オリジナルも書き精力的に活動をしようとするが5人所帯で、使用する楽器の数が多く あまりにもフットワークが重いので、思いと現実がついていかないBANDであった。 代表曲 甘い誘惑 彼は船乗り ハローメリールー 他 |
|
|
|
ばっくすばにい (1974〜1978) フットワークが軽く、しかも自分の思った音を出すことができる最小限度は『3人』。 しかもそれぞれが何種類もの楽器が弾けること、という答えに達した。 COUNTRY UNRIMITEDでフィドル、マンドリン、ギターを弾きこなしていた岸本はやと PINK PANTHERでベース、スティール、ドラムなどを弾いていた五十川清のメンバーが集まった。 PINK PANTHERをばっくすばにいに変更。 代表曲 マウンテンデュー しあわせ京都 みっちゃんのうた 他 RECORDS 私の朝/結婚行進曲 しあわせ京都/石だたみ |
|
ばっくすばにい (1978〜1980) 4年間で、やり尽くした感があった3人のばっくすばにいから、岸本はやとが脱退 SOUNDの充実を計るため3人のメンバーを加え活動を開始。 この頃はオリジナルにこだわらず、カバーも積極的に演奏した。 初期のばっくすばにいのアイドルイメージを払拭したかった時代である。 代表曲 MIDNIGHT FLYER HONKY TONK JACK 水平線 他 RECORDS 夢追い岬/HONKY TONK JACK |
|
|
きたむらけん SOLO (1980〜1981) BANDのメンバーが増えると、当然やりたい音楽のジャンルも広がる。それぞれが 思い思いのスタイルではでまとまりがつかない。捨てがたいものがあったが、 悩みに悩んだ結果、永年のBAND生活に別れを告げ、ソロシンガーとして活動を始める。 アニメのテーマも唄った。BACK BANDとして泉州たまねぎファイターズ、シティキャッツ サンアントニオレディス(のちのラブポーション)SKY、WINDY等にサポートしてもらった。 代表曲 明日への旅 MOON LIGHT WINGS 森の小径 他 RECORDS 僕は三輪車ライダー どびびーんセレナーデ(イタダキマンのテーマ) |
|
1981年8月23日円山の音楽堂で行った 『きたむらけんー夏にさようなら』のコンサートを最後に これまでの音楽活動、DJ等の一切の活動を休止 永遠とも思われる長い長い休暇に入った |
|
NFD SINGERS (1988〜1992) 1988年にプロデュースしたNFD(なつかしのフォークソング同窓会)こんさーとの成功により 各方面でフォークコンサートが開催されるようになった。 NFDを代表して各コンサートに出かけ演奏するようになり そのうちにNFDシンガーズというBANDができあがることとなる。
代表曲 This land is your land Pack up your sorrow This little light 他 |
|
13区少年倶楽部 (1992〜現在) 1992年の夏。坂本13区で『お父さんが作る夏祭り』を計画し、それぞれのお父さんが、 ベーコンや焼肉のたれ、かき氷を作る中、子供達が楽しめるようにとお父さんバンドを作り そのコンサート用に『今、少年の夏へ』を作曲。今の少年倶楽部への大きなきっかけを作った めちゃくちゃ楽しいグループ。活動は年1回位しかやらない。ただし演奏はほとんど出来ない。 代表曲 今、少年の夏へ 自転車にのって 春夏秋冬 他 |
|
少年倶楽部 (1993) 13区少年倶楽部で、長い長い休暇から目覚めまたBANDのメンバーを物色。 ばっくすばにい時代からの五十川清とPETER ROWANのコンサートでマンドリンを弾いていた 宮崎勝之の3人で活動を始める。初期のライブでは13区少年倶楽部から小野山昭三、 パーカッションの福井秀彦(阿武野逢世)も参加している。 代表曲 こんにちは 10月の風 仲間達よ 他 TAPE 今、少年の夏へ/燦KIRAMEKI |
|
少年倶楽部 (1994〜現在) 3人で活動していた少年倶楽部であったが、京都リサーチパーク体育館で行った 少年倶楽部コンサートにサポートメンバーとして参加した三好寛昭、森巧美、福井秀彦を 正式メンバーに登録。ファーストアルバム『元気』を製作。1995年の夏に福井秀彦が脱退 現在の5人のメンバーとなった 代表曲 夏BASE BALL 雪景色 チャイルドフット 他 CD ALBUM 『元気』 『少年倶楽部』 『DO YOU REMEMBER』 |
|
『北村 謙 Banjo ひとり旅』(2000〜現在) 少年倶楽部とは別に、Banjo一本で唄うソロ活動を開始する。 大きなステージとは全く違ったリラックスのひととき。 何よりも本人が一番リラックスしているともっぱらの評判。 たまにBACKでサポートしてくれるのは義妹の甘心 雅之葉(あまごころがしよう) Banjoと琴の音が妙にマッチしている。Banjoで弾く津軽じょんがら節が圧巻。 代表曲 雨あがり 笹百合咲いた 春霞む お猿のかごや |
|
北村 謙&渡辺裕子 unit(2001〜現在) 北村 謙のソロ活動をサポートしていた渡辺裕子と『桜の島の風の中にいる』の アルバムをきっかけにunitを結成。5弦Banjoと二十弦箏という異色の組み合わせは 以外や以外聞く人の心の中に染み渡るような幻想的なsound。 アコーディオン・キーボード・パーカッションと渡辺裕子の多才さも聞きどころ。 代表曲 桜SAKURA 恋唄 風の盆に恋をして CD ALBUM 『桜の島の風の中にいる』 |
|
|
満開文化楽団(2002年〜現在) 『北村 謙一座』の第2回公演で、幕間を演奏で繋いでくれた 満開文化楽団。そのメンバーに北村 謙と桂 九雀が合流。 その歴史は、大阪にあるJAZZの名門ライブハウスから、桂 九雀が 出演依頼を受けた事に始まる。このBANDのライブ活動は、 今のところ、そのライブハウスで行う5ヶ月に1回のライブだけである。 世界は日の出を待っている・月がとっても青いから メンバー左から |
![]() |