僕の音楽生活を彩った思い出深いバンドの数々です。     

       音楽と最初の出合い

   きっかけ

ネコイラーズ (1968〜1969)

もともとはゴブリンズという名前でPPMスタイルのBANDだったが女性の扱いがうまく行かず

中学時代の同級生で仕切り直し。1968年結成。A.F.L. FOOTSに出演した高校生バンド

当時髪の毛を伸ばしかけていた僕を見て親父が「お前はなんぼ毛を伸ばしてもタイガース

みたいにはなれへんせいぜいネコイラズや」と言ったのが命名の由来。

代表曲 戦いは一度でいい 今日も夢見る フンタリヨン他

ネコーラーズ

 

 

ディビークロケッツ (1969〜1970)

大学受験を控え『ネコイラーズ』を解散したにもかかわらず、やっぱ「Traditional Folk」やで

と大学受験をモノともせず結成。このころからBanjoを弾き始める。教則本がなかったので

坂庭省悟先輩のステージを見るのが(当時ソリタリーシンガーズ)唯一の学習法であった。

代表曲 グリーンバックダラー ジョンB号の難破 GYPSY ROVER 他

 

HOGY MOUNTAIN BOYS (1970)

Banjoを弾き出した僕はTrad Folkからお決まりのように

Bluegrassへと転身。

中島要次らが主催する『butter&eggmen concert 』に

このバンドで出演するが

実力が伴わずすぐに解散。写真で見てもこのバンドは

Bluegrassを勘違いしているようだ。

その後、このバンドで意気投合した

井芹まこと(のちにナターシャー7)と共に

「Nashvill」「Honky tonk」等のライブハウスで

セッションをくり返す。

代表曲 Lonsame load blues  O. B. S.  Roll'in my sweet babys arms 他

 

Bleecker street quartet (1970〜現在)

ライブハウスへ足繁く通う僕に「MFQみたいなバンドをやらないか」との誘い。

BluegrassからFolkへ逆戻りである。けどやってみるとこれが実に面白い。

Memberは何人も入れ代わりはしたが、未だに付き合いがあり、新年会では決まったように

歌が始まる。昔のようには行かない。

代表曲 砦を守れ Swing down chariot  Home is where tha heart is 他

 

Back step country band (1970)

FolkのときはBleeker street quartet、Bluegrassのときはライブハウスへ

といった音楽生活をしている時に、Hogy mountain boys以後、熊本に帰っていた

井芹まことが上京。九州で高石ともやに出会い「新しいバンドを創る」との誘い。

BASSで参加。わずか1月程度の活動であった。(ゆえに写真がない)

代表曲 ランブリンボーイ オールドジョークラーク 思い出の赤いヤッケ 他

 

 

はしだのりひこエンドレス (1971〜1973)

以前にA.F.L.FOOTSを主催していた端田宣彦が突然、解散したはずのフォーククルセィダーズに

参加し、あれよあれよという間に時の人となる。フォークル解散後、

シューベルツ、クライマックスとバンドを結成しては解散し、

最後に作ったのがエンドレスであった。クライマックスでBanjoを弾いていた

坂庭省悟の後任として参加。

代表曲 嫁ぐ日 時は魔法使い 初恋物語 他

RECORDS  時は魔法使い/海はきらいさ 嫁ぐ日/霜の音 初恋物語/青春は涙の旅

ALBUM  ENDLESS  Vol.1

はしだのりひこ とエンドレス

 

 
COUNTRY UNLIMITED

COUNTRY UNLIMITED (1973)

自分の想い通りの音楽をやるために、エンドレスを自主的に脱退し帰郷

再度アマチュアとして、以前から交流のあった仲間達と5人編成のバンドを結成。

countryやBluegrassの曲を自分達なりのアレンジをして聞かせるbandであった。

結成当時まだ名前がなく、ラジオの公開録音に参加した時、KBSの川村輝夫氏が命名。

このBANDの影響は今も濃く残っている。

代表曲 O.B.S Oldman at the mile  買い物ブギ 他

 

 

PINK PANTHER (1974)

COUNTORY UNRIMITEDで「これはいける」みたいな確信を持ち、

これをプロのバンドにしょうとメンバーチェンジ、名前も一新。

オリジナルも書き精力的に活動をしようとするが5人所帯で、使用する楽器の数が多く

あまりにもフットワークが重いので、思いと現実がついていかないBANDであった。

代表曲 甘い誘惑 彼は船乗り  ハローメリールー 他

PINK PANTHER
 

 

 
ばっくすばにい

ばっくすばにい (1974〜1978)

フットワークが軽く、しかも自分の思った音を出すことができる最小限度は『3人』。

しかもそれぞれが何種類もの楽器が弾けること、という答えに達した。

COUNTRY UNRIMITEDでフィドル、マンドリン、ギターを弾きこなしていた岸本はやと

PINK PANTHERでベース、スティール、ドラムなどを弾いていた五十川清のメンバーが集まった。

PINK PANTHERをばっくすばにいに変更。

代表曲 マウンテンデュー しあわせ京都 みっちゃんのうた 他

RECORDS  私の朝/結婚行進曲 しあわせ京都/石だたみ

 

 

ばっくすばにい 2  (1978〜1980)

4年間で、やり尽くした感があった3人のばっくすばにいから、岸本はやとが脱退

SOUNDの充実を計るため3人のメンバーを加え活動を開始。

この頃はオリジナルにこだわらず、カバーも積極的に演奏した。

初期のばっくすばにいのアイドルイメージを払拭したかった時代である。

代表曲 MIDNIGHT FLYER HONKY TONK JACK  水平線 他

RECORDS  夢追い岬/HONKY TONK JACK

ばっくすばにい

 

 

 
きたむらけん

きたむらけん SOLO (1980〜1981)

BANDのメンバーが増えると、当然やりたい音楽のジャンルも広がる。それぞれが

思い思いのスタイルではでまとまりがつかない。捨てがたいものがあったが、

悩みに悩んだ結果、永年のBAND生活に別れを告げ、ソロシンガーとして活動を始める。

アニメのテーマも唄った。BACK BANDとして泉州たまねぎファイターズ、シティキャッツ

サンアントニオレディス(のちのラブポーション)SKY、WINDY等にサポートしてもらった。

代表曲  明日への旅  MOON LIGHT WINGS  森の小径  他

RECORDS  僕は三輪車ライダー どびびーんセレナーデ(イタダキマンのテーマ)

 

 

 

音楽活動休止宣言 (1981〜1992)

1981年8月23日円山の音楽堂で行った

『きたむらけんー夏にさようなら』のコンサートを最後に

これまでの音楽活動、DJ等の一切の活動を休止

永遠とも思われる長い長い休暇に入った

 

 

 

NFD SINGERS (1988〜1992)

1988年にプロデュースしたNFD(なつかしのフォークソング同窓会)こんさーとの成功により

各方面でフォークコンサートが開催されるようになった。

NFDを代表して各コンサートに出かけ演奏するようになり

そのうちにNFDシンガーズというBANDができあがることとなる。

 

代表曲  This land is your land  Pack up your sorrow This little light 他

NFD SINGERS

 

 

DADDY RAMBLERS

DADDY RAMBLERS (1992〜現在)

NFDsingersの活動を続けるうちに、アマチュア悲しさか、はたまた働き盛りの忙しさか

メンバーが一人二人と減って行く。気がついてみれば最後までしつこく参加していたのは3人。

箕岡理、中井伯有、北村謙だけとなっていたそれじゃあと

KINGSTON TORIOスタイルで活動開始。お父さん達は今も彷徨っている。

代表曲  Green back daller  ミズリーを越えて  花はどこへいった 他

 

 

13区少年倶楽部 (1992〜現在)

1992年の夏。坂本13区で『お父さんが作る夏祭り』を計画し、それぞれのお父さんが、

ベーコンや焼肉のたれ、かき氷を作る中、子供達が楽しめるようにとお父さんバンドを作り

そのコンサート用に『今、少年の夏へ』を作曲。今の少年倶楽部への大きなきっかけを作った

めちゃくちゃ楽しいグループ。活動は年1回位しかやらない。ただし演奏はほとんど出来ない。

代表曲  今、少年の夏へ  自転車にのって  春夏秋冬 他

13区少年倶楽部

 

 

少年倶楽部

少年倶楽部 (1993)

13区少年倶楽部で、長い長い休暇から目覚めまたBANDのメンバーを物色。

ばっくすばにい時代からの五十川清とPETER ROWANのコンサートでマンドリンを弾いていた

宮崎勝之の3人で活動を始める。初期のライブでは13区少年倶楽部から小野山昭三、

パーカッションの福井秀彦(阿武野逢世)も参加している。

代表曲  こんにちは  10月の風  仲間達よ 他

TAPE  今、少年の夏へ/燦KIRAMEKI    

 

 

少年倶楽部 (1994〜現在)

3人で活動していた少年倶楽部であったが、京都リサーチパーク体育館で行った

少年倶楽部コンサートにサポートメンバーとして参加した三好寛昭、森巧美、福井秀彦を

正式メンバーに登録。ファーストアルバム『元気』を製作。1995年の夏に福井秀彦が脱退

現在の5人のメンバーとなった

2010年五十川 清逝去により活動が不可能となる。

代表曲  夏BASE BALL  雪景色  イムジン河 他

CD ALBUM  『元気』  『少年倶楽部』 『DO YOU REMEMBER』 

少年倶楽部

 

 

 

『北村 謙 Banjo ひとり旅』(2000〜現在)

少年倶楽部とは別に、Banjo一本で唄うソロ活動を開始する。

大きなステージとは全く違ったリラックスのひととき。

何よりも本人が一番リラックスしているともっぱらの評判。

たまにBACKでサポートしてくれるのは義妹の甘心 雅之葉(あまごころがしよう)

Banjoと琴の音が妙にマッチしている。Banjoで弾く津軽じょんがら節が圧巻。

代表曲  雨あがり  笹百合咲いた  春霞む  お猿のかごや

 

 

北村 謙&渡辺裕子 unit(2001〜現在)

北村 謙のソロ活動をサポートしていた渡辺裕子と『桜の島の風の中にいる』の

アルバムをきっかけにunitを結成。5弦Banjoと二十弦箏という異色の組み合わせは

以外や以外聞く人の心の中に染み渡るような幻想的なsound。

アコーディオン・キーボード・パーカッションと渡辺裕子の多才さも聞きどころ。

代表曲  桜SAKURA  恋唄  風の盆に恋をして

CD ALBUM  『桜の島の風の中にいる』

 

 

満開文化楽団(2002年〜現在活動休止)

『北村 謙一座』の第2回公演で、幕間を演奏で繋いでくれた

満開文化楽団。そのメンバーに北村 謙と桂 九雀が合流。

その歴史は、大阪にあるJAZZの名門ライブハウスから、桂 九雀が

出演依頼を受けた事に始まる。このBANDのライブ活動は、

今のところ休止中である。

世界は日の出を待っている・月がとっても青いから

メンバー左から
加藤森比古(ドラム)てっつん(ベース)桂 九雀(クラリネット)
北村 謙(Banjoボーカル)谷本昌也(トランペット)山田由香里(ピアノ)

 

B.B.S. Mondays(2010〜)

Banjo ひとり旅を少年倶楽部のベーシスト森 巧美

サポートして貰うことが増えてきたある日

「謙さんのヴォーカルにぴったりのSAXが居てはります」

の勧めで、河内雅士が参加。

Banjo・BASS・SAX.そして

月曜日にしかライブが出来ないのでこの名前になった

現在もう一人Memberを模索中。

代表曲  SUMMER TIME 同じ空の下で 銀座カンカン娘 泡沫 UTAKATA