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35年分の涙(ブリーカーストリートクァルテット結成35周年記念ライブ顛末記)
2006年11月19日(日)ブリーカーストリートクァルテットが、結成35周年のライブをする事になった。
71年の結成当時は、こんなに続くとは夢にも思わなかった。
仲の良いのは今も昔も変わらないが、よく喧嘩もした。レパートリーが一向に増えないのも、
メンバーそれぞれの唄いたい曲が違うから、意見が食い違う。未だにそう、子供みたいである。
さすがに今回のライブでは
『時間が持たない』
と言う理由から、無理矢理新曲を増やした。昔みたいに
『いやや!』
と膨れるメンバーは居なかった。ちょっと大人。
『日曜日は11月まで空きがありません。』
の会場の答えも新曲練習のためには良かったのかも知れない。
何年か前から始まった月1回の定期練習も、普段のように飲み食い中心ではなく結構真面目。
恐らく
「35年もやってて、この程度?」
と言われたくないのだろう。頑張っている。
このペースで35年やっていたらどうなってたんでしょう?
こんなに一生懸命になれるのもMFQと言うお手本あっての事。
僕らの高校時代に現役で活躍していたMFQ。その当時はたった2枚のアルバムがあっただけ。
その2枚のアルバムを一生懸命コピーしている。(今は数枚のアルバムが発売されている。)
MFQからは色んな事を教わった。音楽を楽しむ事・いつまでも元気でいる事・そして仲間との友情のすばらしさ。
1988年、再結成初来日の時までは
『絶対に生では見られないバンド。』
と思いこんでいた。
初来日の時は東京・横浜・長崎の予定しかなかったところを、麻田浩さんに無理矢理お願いして京都ライブを追加して貰った。
お礼は京都見物だった。そのお礼にも僕らが同行するのだから、大いなる役徳である。
MFQに関してはまるでだだっ子。我ながら呆れる。
2回目・3回目と来日回数が増えるたびに、メンバー4人が揃って出かけていく。
自然と麻田さんやマネージャーのカズ坂本さんとも話す機会が増える。メンバーとも。
麻田さんとはMFQだけでなく、その他のアーティストが来日した時にお目に掛かる事もある。
そんな事もあってか、2005年の冬、MFQの大阪公演にオープニングアクトの機会を頂いた。
この時はメンバーとも親交を深めた。
11月の初旬、マネージャーと親しくなったのを良い事にメールで
「ブリーカーストリートクァルテットの35周年にMFQのメンバーからお祝いのメッセージの声を貰えませんかねぇ。」
に坂本さんの答え
「今一人はラヴィンスプーンフルのツアーで掴まらないし、ハワイに住む二人のメンバーは、怪我こそ無かったけど地震の被害で・・・・・・。」
あまり芳しくない返事。
「そうですよね。無理は言いません。メールだけでも良いですから。」
ブリーカーのメンバーも
「そら、メッセージは欲しいけど、あんまり無理言うなよ。」
だった。
11月10日朝。メールを開けてみると、
message to the Bleeker St. Quartet from MFQ
の文字。
「やったー!」
一生懸命読んでみる。意味はぼんやりとしか解らないが、MFQのメンバーの顔を思い浮かべると涙が出てきた。
ブリーカーのメンバーにも早く送ってやろう。
「喜べ!今坂本さんを通じて、MFQのメンバー全員からブリーカーにメッセージが届いた。嬉しくて、涙が止まらない。よかったなぁ。謙」
元フォークルの平沼義男さんにちゃんと訳して貰おうと、電話をするが泣けて泣けて上手く話せない。
翻訳をお願いして。この喜びを家族にと電話をするが、まだまだ泣けて泣けて泣けて泣けて・・・・・・。
しかし電話口の向こうは以外と冷静。
「よかったネ〜好きなだけ泣きなさい。」
フン!こんな気持ち、おまいらに解ってたまるか〜〜〜〜。
電話を切ってから、20分は泣いた。
その日の練習の時もみんなでコメントを読みながら、去年の楽しかった事を話してウルウルしていた。
「パンフレットを作って、このコメントを載せよう。」
「それがいい!」
「2005年にMFQと一緒に写した写真も入れよう。」
「てっつんに頼もう。」
と話は決まった。練習にも力が入る。このメッセージに恥じない演奏をしなくては。
そこへ渡邉裕子が二十弦箏を持ってやって来た。
今回のひとつの企画、
『To catch a shad』
を二十弦箏の伴奏で歌おうというのだ。早速渡邉裕子にも今日届いたメッセージの事を話すが
「あら、そう。よかったじゃん。」
つれない返事、やっぱり解りよらん。もうエエ、練習しよ。
練習は無事終了。
後は打ち合わせ。嬉しい事にチケットは発売から1月半も経たないうちにSOLD-OUT。
困ったのは親しい人や先輩方の
「今度行くで!」
それを見越して残して置いたチケットも完売。
「なんでこんな売れるの?」
「今度はブリーカーしか出ないから。」
とムー。いつもNFDやDIMEコンサートであれば、買って頂く方に
「何時くらいに出ますから。」
と伝えなければならない。
今回はその辺りがややこしくないから売りやすいと言うのだ。
「僕のライブは、いつも僕しか出てないけど売れ難いで〜。」
兎も角嬉しい悲鳴である。
ライブ当日、雨。
娘の彼氏に迎えに来て貰って(打ち上げの事を考えて運転はしなかった。)まず腹ごしらえ。
都雅都雅についたのが2時。追っつけマーチンも到着。ムーとヨシオは既に到着していた。
リハーサル開始。このメンバーでリハーサルをするのは、去年の大阪と併せて2回目。
いつもその他大勢でリハをするので、自分たちだけのリハをする事は滅多と無い。
今日のオープニングは
『SING OUT』
司会を頼んだのは、ブリーカーストリートクァルテットを誰よりも愛してくれている我が娘。
メンバー4人の意志である。前日までに録音したブリーカーの生い立ちが流れた後、
「Now ! ladies and gentleman・・・・・・BLEEKER STREET QUARTET
!」
全て順調。ばっちり決まっている。渡邉裕子の二十弦も快調。OK OK OK
!
早めに食事を済ませて会場に戻ると、もはや大盛況。みんな見た事のある顔、顔、顔。
ご挨拶をして、着替えに。着替えながらメンバーとの話、何かしみじみ。
娘もドレスに着替えて舞台袖に。いやに緊張している。
ヨシオが刷り込む。
「バンドの名前だけ間違わんといてや。僕らはモダンフォークカルテットやで。」
「ぃやめてぃ〜。間違うやんか〜。」
客電が消えて、CDのコメントが流れ始めた。
「行くぞ!」
マーチンが手を出した。その甲の上にヨシオ・僕・ムーが手を置く。娘も置く。
「ィイェィ!」
ブリーカーの儀式を終えて舞台へ。満席、格好悪いけどこんな一杯の都雅都雅は初めて。
コメントが終わって娘が出てきた。格好良くカンニングペーパーも見ないでスラスラと・・・の筈だった。
緊張しているせいか、最初からカンニングペーパー見っぱなし。
「Now ! ladies and gentleman・・・・・・MODERN FOLK
QUARちがう、BLEEKER STREET QUARTET !」
ヨシオの刷り込み通りに言うて仕舞いよった。
けど、娘の間違いで我々は随分緊張がほぐれた。そのせいか
『SING OUT』
は去年の大阪よりも、数段良かった。35年歌い続けた
『HOLD THE FORT』
『YES, I SEE』
『TIME GETTIN' HARD』
『Jordan River 』
そして渡邉裕子を呼び込んでの
『To catch a shad』
想像通りの良い出来である。ヨシオが、手持ち無沙汰と釣り竿を持って唄っていた。ナンデジャ〜
ここで、渡邉裕子だけを残してみんなは着替え。彼女はMFQの曲を見事に箏曲に仕上げていた。ウマ〜。
休憩が終わると今度は一人ずつのコーナー。まずは僕から
『SANTIANO』
を9弦Banjoで唄う。途中でメンバーがコーラスで参加。次にムーの
『RENDEZVOUS』
この曲のためにウクレレを購入、マーチンクラリネット、ヨシオエレキギター。
この曲の練習日に参加出来なかった僕は・・・・・・・波の音。古い桑折に小豆、こうりあずき、なんちゃって。
マーチンは
『HANEY SACCLE HANEY AND ME』
をギターを弾いて唄う。ムーはウクレレ、ヨシオはスライドギター。
この曲の練習日に参加出来なかった僕は・・・・・・・スプーン。イヤ!もう。
ヨシオは元々PPMからスタートした人らしく
『NO OTHER NAME』
ムーのベースと僕のギター。マーチンは『や』
それぞれの個性的で、このバンドの仲の良さが表現出来たようである。
ムーが
「このバンドで唯一プロ活動をしている謙の曲で、どうしても皆さんに聞いて貰いたい、世に出してやりたい歌がある。」
と紹介してくれた。親友に褒められると、こそばゆいけど本当に嬉しい。
『風の盆に恋をして』
を唄わせて貰った。みんな、ありがとう。
さぁ、後半は
『BULLGINE』
から
『WANDERING WILLEI』
『ROAD TO FREEDOM』
ムーの指が攣った。仕方ない。これほど長時間やった事がないから。何とか
『HOME IS WHERE THE HEART IS』
最後は
『SWIN DOWN CHARIOT』
曲が終わると、僕らの家族が大きな風船を持ってステージまで来てくれた。
ハート形あり、蛙あり、熱帯魚あり、家族のみんなもありがとう。
アンコールが来た。ステージに戻って楽器を持つと、突然娘がステージに上がってきた。
「これは私たちから、ブリーカーへのプレゼントです。」
一人一人にCDの様なものを手渡してくれた。
「May I Open ?」
「だめだめ、開けないで!皆さんも一緒に聞いてください。今ブリーカーに渡したプレゼントの中身は、これです!」
何の事やら解らず、きょとんとしたブリーカー。シ〜ンと静まった会場に声が響いた。
聞き覚えのある声。ヘンリーディルツの声だ!解った瞬間の僕の頭の中
『何故?ヘンリーが僕らにメッセージを・・・そうか、娘が頼んでくれたのか○×▲■』
もう後は、洪水のような涙、このプレゼントにマーチンも目頭を熱くしている。ムーもヨシオも。
メッセージは続くチップダグラスとサイラスファーヤーそしてジェリーイエスター。涙が止まらない。
僕らが35年間も憧れ続けたMFQが、僕らをお祝いしてくれている。あかん!体の水分が全て目から漏れていく。
この日僕らの家族全員が見に来るようにと、嫁さんや子供達を一生懸命口説き落としてくれた娘。
誰よりもブリーカーを愛してくれている娘を、このライブの最後に
「良くやってくれた、ありがとう。」
の言葉で泣かせてやろうと思っていたのに。
僕らが思う以上に、娘は僕たちの事を思っていてくれたのだ。
後で聞いた話なのだが、僕が坂本さんにメールをする1月も前から、娘と渡邉裕子のこのプロジェクトは動き始めていたらしい。
娘は去年の記憶を頼りに、麻田さんに東京まで会いに行き、坂本さんとコンタクトを取り、MFQからの『声』を取り寄せ、
てっつんに頼んでCD化していたのだ。
従って、僕がメールをした時もう既にMFQのメンバーはコメントを出した後だったのだ。と言う事は、MFQのメンバーまでが娘の
『サプライズ』
を成功させるために僕には言わずに、もう一度メールでコメントをくれたのだ。
坂本さんも
「お父上からも同じお願いが来ています。お父上の方は上手く断っておきます。」
と娘の企てに一役買っていたのだ。
打ち上げの席で
「そしたら、僕がメールを貰って泣いていた時素っ気なかったのはこれがあったから?」
「そう、解っていただけに可笑しかったわよ。」
僕ら以外のみんな、渡邉裕子もてっつんも女房も娘の一味だったのだ。
打ち上げは京都フォークの先輩方も参加してくださいました。さながら娘の打ち上げのようでもありました。
この日ライブに来てくださった旧友・フォーク仲間・同級生・古くからのファン・遠くからの人・兄弟・親戚・家族
・仕事仲間・麻田さんやカズ坂本さん・MFQのメンバーまで娘のお陰で、ひとつに成れたように思いました。
勿論メンバーも。
35周年の褒め言葉は、誰もが
「エエ娘を持ったなぁ。」
でした。
僕らの喜ぶ姿を見て、一緒に喜んでくださったのでしょう。仲間を感じてくださったのでしょう。
この日皆さんにお渡ししたパンフレットには、僕が貰ったMFQからのメッセージと、
何も知らずに僕が書いた文字が踊っています。
『YES, WE'RE GOOD FRIENDS』
マーチン・ムー・ヨシオ35年やってこれて、ホンマ良かったなぁ。 謙
2006年11月22日
