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心のボール

 

持論。あくまで仮説です。

人間の体の中には、その経験値に見合った無数のボールが存在します。
このボールはその人が何かを体験したり経験したりする度に
『ポコン』
と一個ずつ出来上がるのです。
生まれてから大人になるまでは(大人が何歳なのかは知りませんが)未体験の事柄が多いので、毎日
『ポコン!ポコン!』
と数多く出来ていきます。
大人になって未体験の事柄が減ってくると、当然のように
でき方もゆっくりになってきます。
ただ出来てくるボールの質には全く差がないようです。
そのボールはゴルフボールのように固い物ではありません。
経験の内容が、その人に与える影響力の大小によって大きさが多少異なる場合がありますが、
概ね軟式テニスのような大きさの柔らかなボール。
昔は庭球と呼ばれて三角ベースなどに使った、そうそうあれを想像して貰えたらいい感じです。出来たときはね。

しかし、このボールにはやっかいな事が一つあります。できたての時は先に書いたように
柔らかで反発力もあるのですが、一旦体の片隅に追いやってその存在を忘れてしまうと、
長い年月の内に
『カチカチ』
に固まってしまうのです。
まるで庭球を液体窒素の中に付けたように。
それこそ、下手なショックを与えると粉々に割れてしまう事もあります。
困ったモンです。

では、このようにボールが固まってしまうと、二度と元の柔らかさは取り戻せないのでしょうか?
そんな事はありません。
そのボールが出来たときの事をもう一度体験したり、思い出したりしてやれば簡単に元に戻ります。
押入の中から出てきた古いギターを見て
『懐かしいなぁこの感触。一生懸命唄とうたなぁ。』(頭の中に放課後の教室の匂い)
とか、古い写真を見て
『そやそや、あの時あの人とここへ行ったんや。』(頭の中に友人の顔)
ほら、こんな話を聞いただけで心のどこかが動く感じがあるでしょ。
それなんです。

こんな事がありました。
ブリーカーストリートクァルテットのメンバーの一人が、楽器屋へつき合ってくれました。
帰り道、彼との出会いをふと思い出しました。
二人で自転車こぎながら
「そう言えば、マーチンと初めて会うた時も楽器屋へ行ったなぁ。」
「イノハナの前で会うたんやったなぁ。」
「あのとき十字屋で『ヨルダン河弾けるようになったんや。』言うて教えて貰たなぁ。」
「そうやったなぁ。」
二人揃って楽器屋さんへ行った事が刺激となったようです。
恐らくこの時、僕らの心の中にある
『二人の出会いのボール』
は高校生の頃を思い出して、お互いにクニャクニャに柔らかくなったはずです。
この感じ解って貰えますかねぇ?

こんな事を繰り返し、いろんな経験のボールを柔らかくする事によって、
自分自身の感性がどんどん豊かになり優しく生きられるようなる。と思うのです。

心のボールを柔軟にするのはこの方法だけではありません。
『人が演じるものを見聞きする。』
のもひとつです。
歌舞伎・芝居・落語・講演など、生の舞台を見に行く事。
本を読む事、もちろん音楽のステージもそうです。
新しい経験のボールを創ると同時に、古く硬化したボールを揉みほぐしてくれる効果があります。
残念ながら、ビデオやDVDをテレビで鑑賞したのではその効果は望めません。
『うちのテレビ大っきい画面やし映画館で見るのと同じヤン。』
とおっしゃる方もあろうかと思いますが、全く違います。
何故ならそれは、わざわざ自分の意志で出掛けて行かなくても良いと言う事と、見ている場所が公共の場で無いという事です。
社会の中で自分の存在を確認しながら何かを鑑賞する事と、
自分だけの世界で自由に鑑賞する事とは自ずと違いがあるはずです。
そこが大事なのです。
久々に映画でも見に行ってご覧なさい。その差に気付くはずです。

僕自身にとっては、人の舞台や映画を見に行く事と同じように、懐かしい先輩方と一緒の舞台に立つ事が、
『心のボールの柔軟体操』
になっています。

『僕の心のボール』
を柔らかくしておく事によって、僕の唄を聴いてくださった人たちの
『心のボール』
が少しでも柔らかくなったら、それがこの上ない幸せなのですから。