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おばあちゃん

 

子供の頃は4人のおばあちゃんに育てられた。
父方・母方・母方の義理のおばあちゃんそして遠縁の親戚にあたるおばあちゃん。
4人のうちで僕と血のつながりがあるのは、今考えてみると母方のおばあちゃんただ一人。
当時大津に住んではったので、あまり行き来はなかった。
高校3年の時に他界。
思い出と言えば京都に遊びに来はるときに、いつも川魚の飴煮を持って来はる事。
それと大津に遊びに行ったときに、近所の洋食屋さんのオムライスを出前を注文して貰える事くらい。

母方の義理のおばあちゃんは、川口松太郎さんの
『朋子の一生』
と言う小説のモデルになった人。
大映の映画関係者が良く出入りする、喜美家と言う料理旅館の女将。僕が5歳の時に他界。あまり記憶にない。

一緒に暮らしていた遠縁のおばあちゃんのことは
『柴ばばこ』
と呼んでいた。
『僕の結婚式に出席するのが夢』
と言いながら、小学校の卒業を待たずして死んでしまった。
幼稚園の頃、彼女が買った真新しい鯨尺に名前を書いてくれるかと言って、僕が墨で書いた
『柴こう』
と言う字をうれしそうに眺めていた。
「男はキチット継ぎ当てたものであれば着ていても恥ずかしくないが、汚れたものは着てはならない。」
守っているかどうかは解らないが、教えてくれたことは未だ覚えている。

もう一人のおばあちゃんは、本町10丁目に住んでいた。
4年生の頃に自転車で遊びに行ったのをきっかけに、土日には決まって遊びに行っていた。
中庭に降りそそぐ夏の日差しの中で、ランニングを着て縁側に寝ころんで三矢サイダーを飲みながら少年誌を読む。
絵に描いたような少年時代を過ごさせて貰った。
今、詩が書けるのは彼女のお陰。ありがたい。
夕食の買い物に出掛けたときの、八百屋さんや魚屋さんとの遣り取りの旨さは、彼女が仲居さんをしていたからだろう。
それを横で見ていた僕は、きっちりそれを受け継いでいる。
今でも買い物をしていて、ふと思い出すシーンがある。
長い間煩っていた病院のベッドで
『もう、人間の格好変わってしもたわ。早よ死にたいわぁ。』
と元気に話していた。
女房を見て貰えた事と、病院での買い物にと渡した五千円が最後の孝行となった。
病院から家に搬送の途中、本町10丁目の懐かしい家の前を通った。
悲しかった。

人手に渡ってはいるものの、この家は今も昔のまま残っている。
周りの風景も変わりつつも残っている。
『映画パッチギ』
に出てきた高架。
「よう友だちと一緒に汽車見に来たなぁ。」
千代の駄菓子屋は自動販売機が並んだ
『お菓子屋さん』
一橋小学校・魚屋さん・お風呂屋さん・神社・うどん屋さん・寿司屋さん
気が付いたら東福寺の駅まで歩いていた。
帰り道もう一度家の前に立った。
家の玄関の傷やタイルの1枚1枚に思い出が鮮やかに残っている。
そっと撫でる。

先日ダイムコンサートの例会で七条方面へ行ったとき、
一寸足を伸ばして懐かしい景色の中を歩いてみた。