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CURRY-SOBA
お願い事があって書道家の佐々木鐵仙先生を訪ねることになった。
佐々木鐵仙先生が私のラジオ番組に投稿して下さってから何年になるのだろう。それがきっかけになったお付き合いである。
どう考えても立場的には逆であるような気がしないでもないが、それはあくまできっかけである。
今では『年の離れた友人』としてお付き合いをさせて貰っている。
銀閣寺喜み家に立ち寄り『豆かん』と『煮あずき』二個ずつ手に入れ、出発した。
たまたま、其の前日の夕食はお好み焼き。焼きながら関東出身の家内が
「私が、お好み焼きを晩ご飯に食べるなんて考えもしなかった。」
と話す。
我が家の得意メニュー。そいつをさらに旨く食べるために添えていたおろし大蒜の匂いがまだ口の中に残っている。
失礼があってはと、昼食にカレーを食して消し去ってしまうことにした。
時折この手を使うが、実際のところ本当に匂いが消えているのかどうかは人に尋ねたことがないので判らない。
しかし、私は消えるものと固く信じている。
時間の都合もあり永観堂近くの『日の出』に飛び込んだ。カレー蕎麦を食べるつもりだ。
私がカレー蕎麦を食べにいく店は、今のところ京都に二軒しかない。
三条の『みやこ』と、ここだけである。『みやこ』のそれは、手打ち麺を使っているのでことのほか蕎麦の薫りがよい。
『日の出』のものは手打ちではないが、何故か無性に食べたくなる時がある。
「カレー蕎麦の中辛一つください。」
と注文すると、何時も決まり切ったように
「黒蕎麦ですか?黄蕎麦ですか?」
と尋ねられる。
『黒蕎麦』は日本蕎麦で、『黄蕎麦』とは、中華麺のことである。これを聞かれる度に、一度「黄蕎麦!」
と言ってみたい衝動に駆られるが、『黒蕎麦』の魅力が『黄蕎麦』に負けたことは、これまで一度もない。
「黒蕎麦をお願いします。」
と言うと
「エプロン要りますか?」
これも決まったように聞くことになっているらしい。
着ている物の胸の辺りに、カレーの染みが付いているのは全く持って格好が悪い。出掛けた先様がそれを見て
「お昼はカレーを召し上がったのですね。」
と心の中で思うはずである。そう考えただけで、心底恥ずかしい。
しかし、あぶちゃんの様な紙エプロンを掛けてカレー蕎麦を食べている姿も、周りのカレー蕎麦以外の物を食べている人から、
「そうしてまでカレー蕎麦を食べずとも良いのに。」
と、思われているのではないかと考えるだけで、それ以上に恥ずかしい。
幸いその日は黒いセーターを着ていたので、飛んだところでさほど気にはならないだろうと思い、
「要りません。」
と、きっぱり答えた。
「お待たせしました。」
隣のテーブルに、カレー饂飩の盆が運ばれてきた。見ると丼の横に、小さなご飯と白菜の漬け物が付いている。旨そうである。咄嗟に
「こちらも、ご飯と漬け物を付けて下さい。」
と注文すると、隣を見て食べたくなったいやしい奴、と思われるのが悔しい。暫くしてから、あたかも自分で思いついたかのように
「あ、そうそう。小さいご飯があれば付けて下さい。」
と頼んだ。これで万全である。
カレー蕎麦が来た。小さなご飯も負けずに湯気を立てている。漬物付。
ここのカレー蕎麦は、青葱を使わずに玉葱を使っている。きっと親父が
「カレーには玉葱。」
と思ったのだろう。見た目の彩りや味からも私は青葱の方が好みではあるが、時々こいつも無性に食べたくなるときがある。
昔、私のラジオ番組で
「カレー饂飩の薬味。」
が物議を醸しだしたことがある。それまで気にもしなかったが、カレー饂飩にも人それぞれ色々な食べ方があるらしい。
「カレーはソースに決まっている。」
と言い張る人もあれば
「麺類ですから、私は七味をかけます。」
の人もある。カレーの出身地を大切にすれば
「胡椒!」
と言われるのも解る気がする。意見は人それぞれで結論など出そうな筈もない。ただし、私は何もかけない。
食べる目の前に、一味・七味・胡椒・ソース・醤油が並べて置いてあったので、そんな話を思い出した。
食べかけると、ご飯が一口食べたくなった。家ならごはんは残ったおつゆにぶち込んで食べるところではあるが、それはあまりにも
行儀が悪い様に思われるのでその気持ちを抑えて漬物で食べることにした。
私は小さい頃から、白菜の漬物には七味をかけることにしている。幾ら旨い白菜であっても、七味がないときは食べたくないほどの思いこみがある。
幸いにもここは饂飩屋、七味には事欠かない。
目の前には
『エスビーテーブルコショー』
の空瓶に入れた七味が置いてある。とりあえず贅沢は言わず
「七味なら何でも良い。」
の思いで白菜にたっぷりかけた。そして、醤油をほんの少々。
白菜を口に運んで判ったが、そのコショーの瓶に入っていたのは、紛れもなく
『三寧坂の七味屋』
の七味。子供の頃から食べている味に間違いない。もし私の舌が不確かであり間違っているとしたら
それはとても旨いものだから親父に入手の仕方を教えて貰いたい。
あまりの旨さと、心くすぐられる懐かしい薫りに、一口のつもりであったご飯は瞬く間に無くなった。
かくして、カレー蕎麦は、単品で食べることと相なった。
