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唄う事だけを生業にしてちょうど1年が過ぎた。

もう35年も唄ってきたが、ばっくすばにい以降は必ず副業というのがあった。
デザイン事務所・飲食店プロデュース・住宅プロデュース。
いずれもソフトウェアの仕事なので、音楽と平行してもやっていけるように思っていた。

2年前に自分の友人(今は確実に友人ではなくなった。)の仕事を業者に紹介した事が仇となり、建築の一線から身を引く事になった。
各業者さんからは
「北村 謙さんでないとダメだと仰るクライアントがあるのだから。」
と現場復帰を迫られてはいるが、ここで
「ハイ。、そうですか。」
と元に戻るような。柔な話では無かったので本気で辞めてしまうつもりだった。

ただ、全くの白紙に戻してしまうとこれまで創らせて貰った飲食店や、建てさせて貰った住宅の保証やメンテナンスまで放棄してしまう事になる。
そんな良い加減なことは出来ないので、昔から親交のあった建築家をOFFICE KENに招き
『くらしの空間研究所』
の仕事を引き継いで貰う事にした。その横に小さく
『produce by OFFICE KEN』 
すなわち建築プロデューサーの立場でいる事
これを建築への関わりとした。と言うよりそれが自分なりの責任の取り方だった。
一昨年の9月頃からこの準備に掛かり、去年の4月にようやく現場の引継が出来た。
その時、正直少し肩の荷が下りた。 
(先にこの文章を読まれた何人かの方から『OFFICE KENは建築を辞めたのですか?』の問い合わせがあったので文章を書き換えました。
 OFFICE KEN『くらしの空間研究所』は今まで通り活動しております。)

「これで音楽に専念出来る。」
世の中が耳障りの良い、漂白したような音楽に現を抜かしている事も知らずに。

それからの1年は高校生の頃のように、一日最低4時間。
長いときは15〜6時間Banjoを弾き、歌の稽古をしまくった。
これまでのようにオリジナルだけでなく、ライブで人の歌も歌うようになった。
これまで感じた事のない辛さもある。また楽しいことも多くなった。
自分がどこまで唄えるのか、どれだけ唄えるのか。
旅に出ても、楽しさにかまけて遊び回る事もなくなった。
なぜかこの歳になって、初めて精進している。
この心地の良さはやっぱり草鞋の変えが無いからだろう。
『大事に使わねば勿体ない。』
アフリカ人でなくともソフオモフ。

今頃になってこんな事を言うのは可笑しいのかも知れないが、一つの物事を突き詰めるとき、心には一点の曇りも有ってはならない。
今頃になってこんな事を書くと無責任かも知れないが、僕のやってきた事は、音楽にも建築にも失礼な事であった様に思う。

どちらも応援してくださった方が沢山おられるのに・・・・。

何をするにしても最終的には
『人間としていかに生きているか』
が大切。身に沁みるように解る。

自分が日に日に変わっていくのが解るようになった。
『本当に良かった』
と思い始めている。
これまで音楽・建築と応援してくださった皆さんへのご恩返し。もっともっと精進して、
心を揺さぶるような、耳障りは良くなくとも心癒されるような良い歌を唄い続けなくてはならない。

ようやく今、気がついた。