Banjoのひとりごと23                   Banjoのひとりごと24

作詞と作曲
 

最初に音楽と出合ったのは京都市少年合唱団に入った11歳の時を言うのだろうか?
それともイムジン河を聞いた15歳の時の事を言うのだろうか?
兎も角中学三年の時からずっと曲を書き続けている。
憧れはシンガーソングライターであった。

最初の頃のオリジナルは歌詞にも曲にもなっていない。
笑える。
それは、見たものをそのまま知っているコードに合わせ大声で唄っていたからだと思う。
『あの木々の囁く山の向こうにきっとあるだろう二人の幸せ〜。』
そんなラブソングあるはずがない。
「それがどうした?」
と言われて答えようのない歌詞だった。

初めての挫折は2曲目に訪れた。
あまりにも早い挫折。
それは当時付き合っていた彼女のお姉さんが亡くなったときに書いた曲。
『あなたは今広い空へ。ひとりぽっちで旅に出る。』
歌詞が良く出来たと思うのは、その出来事があまりのも大きすぎたので周りの人も共感出来たのだろう。
僕自身も結構満足な出来であった。
ただこの曲のメロディが先輩の書いた曲によく似ていた事と、その曲が更に
『ジャックスの時計を止めて』
によく似ていた事。
それまでに聞いた事がなかったのでパクッったつもりでも真似したつもりでも無かったのだが、
友だちに言われた
「誰でも考えつくメロディなんとちゃうか?」
がショックで落ち込んだ事だけは覚えている。

それが元で曲を書くのは暫くお休み。19歳まではBanjoを弾く事しか考えていなかった。
この4年間でいろんなコード進行やフレーズを学んだお陰で
『石だたみ』
という曲を書く事が出来た。
その時既にエンドレスでプロ活動もしていたし、その題材となるほどの失恋もしていた。
確かこの時、詩を書いてくれたエンドレスのメンバーに詩を書く要領なんかも教わった記憶がある。
(作曲家であったのになぜ作詞を教えてくれたのか?未だ判らない。)

その後も何曲か自分の体験を歌にしてきたが、本当に自分が歌を創っていると自覚し始めたのは1993年以降ではなかっただろうか?
当時暮らしていた坂本の町内イベント
『お父さんが作る夏祭り』
用に書いた曲
『今、少年の夏へ』
当時42歳の僕は
〜夏が過ぎて秋になれば振り向いて春を想う。〜
と盛りが過ぎてしまった事を唄っている。
確かその当時の最大の恐怖は、普通のオッサンになる事だった。

それ以前には書かなかった、時の流れと共に失われていく町並みや人の夢の空しさなどが題材となって数多くの曲が誕生した。
それらの思いがバンド名まで
『少年倶楽部』
とさせたのではないだろうか。
『皆さん!少年時代の元気を思い出しましょうよ。』
と、その頃のCDは唄っている。

当時思いもよらなかったのは、時代がこんなに短時間で大きく変わってしまった事。
正直、歌で世の中が変えられると思っていた・・・・・・・今もまだ少し。