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落語
落語家になりたいと真剣に思い出したのは中学生でした。
当時は江戸落語が隆盛を極めており
『お笑いタッグマッチ』
と言う大喜利番組なども、出演していたのは関東の落語家ばかりでした。
寄席番組でもほとんどがそうで、たまに上方落語から米朝師匠が出演される程度だったと記憶しています。
その番組から月の家
円鏡(現・橘家圓蔵)ブームが起き、続いて三遊亭歌奴(三遊亭圓歌)の
『授業中(山のあな・あな・・)』
のブームが起きました。
僕が大好きだったのは、四代目柳亭痴楽師匠。(1921-1993)
恐らく素顔は物凄く怖い顔の人だろうと思うのですが、高座では顔をくしゃくしゃにして(それは満面の笑みとは違う)落語をされる師匠でした。
「柳亭痴楽は良い男、鶴田浩二や錦ノ助(中村(万屋))それよりもっといい男。
上野を後に池袋走る電車は内回り、私は近頃外回り、痴楽綴り方教室の始り
彼女は奇麗なうぐいす芸者(鶯谷)、にっぽり(日暮里)笑ったそのえくぼ、田畑(田端)を売っても命懸け。
我が胸の内、細々と(駒込)、愛のすがもへ(巣鴨)伝えたい・・・・。
と山手線の駅名を織り込んだ、痴楽綴り方教室で一世風靡されました。
実はこの師匠に弟子入りしようと考えていたのです。
受験勉強もせず毎日壁に向かって落語の稽古をしている息子。
机の上を見れば、教科書より多くの落語の本。この状況を見ては親も黙っていられません。
「何になるつもりや!」
「落語家。」
「落語がそないにオモロイんか!?」
「そう、笑うほど。」
鳥着く島もない。
当時、いろんな意味で
『芸能界はこわいところ。』
が定説。
今でこそそんな事もなくなりましたが、落語・色物(落語以外の寄席芸)等
『芸人』
の社会的地位も低く、浮き沈みも激しかった様ですから。
結局、高校を出てからでも遅くないと言う事で親に説得されてしまいました。
今落語家になってないと言う事は、少年時代の熱病の様なものだったのかも知れません。
落語は今でも大好きですよ。
よく聞きますし、2001年頃からは落語を書く様にもなりました。
きっと落語の世界が持つムードが好きなのでしょう。
良く落語会の楽屋にもお邪魔します。
始まりが江戸落語だったせいかどうか解りませんが、粋でない落語家は好きじゃありません。
僕がなりたかった落語家になれた人が、稽古嫌いなのも好きじゃありません。
稽古して、稽古してその後
『落語は稽古して覚えるもんじゃありません。』
全てを落語に結びつけながら世間をよく観察して、見えない稽古を積み重ねる。
特に変わった事でもなく、機を衒った訳でもなく。
シューッっとして、シレーッっとやってのける。そんな落語家さんが好きなのです。
桂九雀さんはその一人なのです。
