Banjoのひとりごと31

Banjoのひとりごと30回突破記念特別企画
小説.家の妖怪1
 

 五月の風は春のそれを水に晒したような透明感がある。
昨日までの薄曇りの空もすっかり気持ちを入れ替えて、まさにこれからやって来る夏の序章を語り始めている。
こんな心地よい時期に落ち込んでしまう五月病の人の気分など、今のところ俺には解りそうにもない。 
 休みとは言え、イヤ休みであるが故にすることもなかった。窓を開け放した十畳の座敷でだらしなく寝ころぶ俺に、
一年中ぶら下げてある風鈴が時折チリンと涼がやってきたのを教えてくれている。
 こうして時が止まっているような錯覚さえ覚えているのに、休みの日というのはどうしてこんなに時間の経つのが早いのだろう。
余程仕事に熱中したとき以外に、こんなことを思うのは滅多とない。ついさっき昼食を済ませ、ちょっと腹ごなしに横になったばかりなのに
古い柱時計は、誰もいない家中に鐘を三つも響かせている。
 そう、まさしく誰もいない筈であった。もう一度新聞に目を通そうと立ち上がりかけた背中から
「あんた!」
 中腰になった瞬間であった。
驚いたのと、何に襲われたのかを確認しょうと振り向いたときには、不覚にも自分の腰から力の総てが抜けていた。
気づいた時には畳の上を後ずさりしていた。その姿はあたかも、殿中松の廊下で額を切られた後の吉良上野介。
体制と気持ちを取り戻すには
「あ〜吃驚した!」
を何度も何度も繰り返すほか術はなかった。
 声の主は女房。彼女は彼女で自分の存在が無視されていたことと、たった一声掛けただけでそれほどまで驚かれたことに腹を立てて、
まだ動悸が収まらない間抜けな格好の俺に大屋根の雨漏り修理を命じ、ぷいとママさんコーラスの練習に出かけていった。
 玄関の千本格子がピシャリと音を立てた。
 女房が腹を立てるのも解らなくもない。声を掛けた方も、相手が必要以上に驚ろいたことで、驚いたのに違いない。
恐らく、その驚いた照れくささを怒りで隠そうとしているのだろう。
 その分を差し引いても彼女は昔とは随分変わってしまったものだ。幾ら結婚生活が長いとはいえ、幾ら慣れてきたとはいえ、
もう少し優しくなれないものであろうか?いっそ彼女の飼い猫ででもあれば、もっと優しく接して貰えるのではないだろうか?等と愚痴が漏れてもしかたあるまい。
 女房の言いつけ通り、彼女が帰って来るまでに大屋根の修理をしておかねば、また雷を落とされて、それこそ雨漏りどころでは済まない。仕方なく重い腰を上げた
 玄関を出て、両手をあげて大欠伸を一つ。さぁこれから、というには気合いの入らないきっかけである。
 梯子を持ってくるのが面倒な俺は、お隣との境界の塀を利用して小屋根に登りそこからなんとかして大屋根に登る計画を思いついた。
 酒屋のビールケースを足掛かりにお隣の塀によじ登った。ビールケースを踏み台代わりにするのは少々無理がある。
空の状態なら逆さにすれば良いのだが瓶が入ったままでは何とも足の座りが悪い。が、面倒くさがりは、身の安全よりも面倒くさいが優先なのである。
 ようやく小屋根に立った。一息ついた俺の目の前には、二階のガラス窓。
そこから出れば良かったことに、ここに来て気付いた。
 こんな事まで、普段の仕事の疲れのせいにしてやるのも気の毒なほどの間抜けである。
自分でも、ほとほと嫌になる。
 さぁ、ここから本格的になんとかしなくては、と見ると大屋根に続く雨樋。正しくは大屋根から続く雨樋。その縦樋を止めるきゃしゃな金具に足を掛けて
大屋根にたどり着いた。面倒くさがり屋は時としてこのような無謀な行動にでる。
 良い子の皆さんは決して真似をしてはなりません。
 大屋根に登ってみると、この家の屋根は町内でも一番の高さがある。
 慶応年間に呉服商で一山当てた父方のじいさんが建てたものだ。作りがしっかりしているのを良いことに、これまで余り手入れをしてこなかったせいであろう。
確かに立派ではあるが相当ガタも来ている。それにしても今々の住宅ではここまでは持たないのだろう。
 雨漏りの箇所は思いの外見つけにくい。古びた瓦はひびが入っているのか割れているのかが判断しにくい上、うっかり踏み込んでしまうとさらに被害を増大させる可能性がある。慎重に。慎重に。
 修理箇所を探しながらも、澄んだ空気は自然に視線を遠くへ向けさせてしまう。
こうして少し高いところから見下ろしていると、表通りを行き交う人たちがせかせかとしているように見える。
ここでは今まで暮らしていた地上と時間の流れが違っていることに気付く。
 みんなは何を求めて何処に行くのだろう?馴染みの八百屋の親父にも、最近所帯を持った若夫婦にもそれぞれの人生があるのだろうが、
今ここにいる俺と同じ時間を同じように使っているようには見えないのは何故だろう。じつに不思議な感覚だ。
 暫くしてふと我に返り、ようやく問題の箇所を見つけた。案の定屋根瓦が割れてしまっている。
 それをを見た途端時間が止まった。ここに登って来るのに、修繕の道具も何も持たずに来ていたのだ。
面倒くさがり屋は時としてこのような面倒くさいことをしてしまうから、さらに面倒くさい事になってしまう。
こんな場面を人に見られずに済んで良かった、が、その自己嫌悪たるや如何ともしがたい。
とは言っても、やはり道具は取りに降りなくてはならない。面倒くさい。仕事の疲れのせいにも出来ない自分が情けない。
 今度は忘れ物がないようにと頭の中で最良の修理方法と、最小限の修理道具を思い浮かべながら、軒先から足を伸ばし
先ほどの縦樋のきゃしゃな金具を足先で探っている。爪先がようやく金具に届き体重を掛けた途端、運悪く着ていたシャツが軒先に引っ掛かってしまった。
左手は屋根を掴んでいるが、右手は掴むものもなく自由(こんな場合も自由という表現でよいのだろうか?)な状態。だからといってシャツをはずそうにも
そのシャツで全体重のほとんどを支えているものだから、そうすれば大惨事となることは容易に想像がつく。大屋根にも小屋根にも戻れない。
通り掛かりの誰かが見つけてくれれば何とかなるのだが、残念ながら、今自分のいる場所は表通りとは反対側の軒先。道行く人の目には付かない。
かといってお隣さんが見つけてくれる可能性は全くない。なぜならお隣さんは一昨々日
「連休が終わったから旅行に行くの。うちは子供が居ないから、いつもこの時期は主人と旅行することに決めているの。
 今年もまた一泊どまりで有馬温泉よ。あそこは近くて便利だから。」
と間違った日本語で、自慢にもならない自慢をしに来たからである。
 何故かこんな時に、去年おみやげに貰った炭酸煎餅の味を思い出した。
 今となっては助けを求めようにもシャツで首がだんだん締め付けられ声もろくに出そうにない。
「助けて〜。」
と絞り出した。途端、誰かが両脇を抱え込むようにして足の着く場所に下ろしてくれた。
 二階の屋根から落ちれば大怪我をしただろう。イヤあの体制で落ちていれば、間違いなく今頃はこの世には居なかっただろう。危ないところだった。
命の恩人に礼を言わねば、と見渡すがあたりは真っ暗。もしかして助かったのではなく落ちて死んでしまったのだろうか?
イヤ手足にはまださっきまでのしびれが残っているし、破れ掛けたシャツもそのまま。確実に助かっている。もし死んでいるのなら、
もっと綺麗な白い絹の着物に着替えているに違いない。等と間の抜けたことを考えながら良く目を凝らしてみると、今いるところは紛れもなく我が家の屋根裏である。
それが証拠に太い大黒柱が目の前にあり、切り妻の空気穴から僅かに差し込む光に照らされたそこには
『建前慶応四年二月吉日、大工棟梁益五郎』
の字がぼんやりと浮かんでいる。
さら目を凝らしてみると、その柱の向こうにになにやら人影らしきものがある。                     

 

『小説.家の妖怪ーその2ーにつづく』