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初荷

 

昭和の35・6年ころ、父親は電気屋を営んでいた。
ラジオや電熱器などの修理が主で、時には工場や住宅の電気工事なども請け負っていたようだ。
京都の木屋町に面した自宅兼店舗に、トランジスタラジオやその頃ではまだ珍しいテレビを並べていた。
金曜日の8時になると家の前の人だかりは、
『力道山の空手チョップ』
に見ほれていたモンである。

この時代に、忘れられない良い風習があった。
『初荷』
年明け7日であったか8日であったかは定かな記憶はない。
何台もの車に分乗したそろいの鉢巻き・法被姿の男達が、至る所に初荷の旗を立ててやって来る。
年明け早々に親父がお客様にお届けするのであろう冷蔵庫やテレビや洗濯機をのせて。
日頃取引のある卸問屋だけでなく、メーカーの人たちも手拭いやお年賀を持って次々とやって来る。
『あけましておめでとうございます。』
に続いて
『今年もご愛顧の程』
等の挨拶をし、今年初の商品を納品していく。
母親は母親で前日から大きな鍋に善哉を炊き、一升瓶を並べてこの男達を迎える。
「マァマァイッパイ、お正月の事やから。」
アタリメや塩豆をつまんで男達は酒を飲む。道路交通法もなにもあったものではない。
その当時、警察も習わしについては寛容であったのだろうか。
もう何軒も回ってきたのであろう、もう正体が半分ほど無くなった若手社員もいた。
下戸の人は善哉にかかり切り。
一通り飲み食いが終わると
『手締め』
拍子木を打ちながら
『チョンチョンチョンチョンチョンチョンチョンチョンチョンチョン・・・・・・おめでとうございま〜す。』
と賑やかな事。穏やかな冬の木屋町通りに響き渡る。
良き時代であった。

『今年初めての納品。』
それだけの事に売る方も仕入れる方も思いを込める。
今年一年のお付き合いを祈念して・・・。
物が無かった時代だから
『たった1台の冷蔵庫』
を大切に出来たのだろうか?
そうではない。商品を、ビジネスを通じて関わり合う
『人と人のこころ』
を大切にしていた時代だったのだろう。

量販店に積み上げられた電気製品。そこかしこに貼られた
『大売り出し』
の札。安いだけが得ではないようにも思われる。