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太陽の味

 

少年時代の話。

夏休みになると、毎年家族揃って海に出かけました。
父が電気屋を営んでいたので、従業員慰安の意味合いもあったのでしょう。
家族に従業員、親戚の子供達と結構の人数でその行き先も、高浜・和田・久美浜と転々と変わっていきました。

今では嘘のような話ですが、
「和田が混み出してきたから」
と久美浜へ始めていったときは、浜辺に僕らだけしかいないという空きっぷりでありました。
「後から私らが行ったときに解りやすい場所に居てなさいや!」
と言っていた母親が吃驚してた事を思い出します。

久美浜での宿泊は松月旅館。
何でも小学校時代の恩師の親戚にあたるとかで紹介して貰ったらしい。
学校の先生でも何でも知っているルートは何でも使う。友達の友達は皆友達だ。
その旅館も、恐らく今では立派なホテルか何かになっているのでしょう。何十年も行かないので解りませんが、その当時は民宿と言った趣の宿でした。

旅館の前にある井戸に西瓜やトマトや胡瓜何かを冷やしてある、夏を絵に描いたような旅館でした。
ガラ空きの浜辺・サザエが獲れる岩場・透き通った水・青い空・遠い島影・松並木、浜茶屋の一つもない自然のままの海水浴でした。

勿論僕の詩の中に大きなイメージを残している事は言うまでもありません。

内海と外海をつなぐ水路は流れも速く、恐ろしく深い事が綺麗な水を通して確認できるほどでした。
内海には大きな漁船が繋留してあるので、水路が深いのは当たり前です。

旅館から岩場に行く方法は二つ。一つはこの水路を大回りした所にある橋を渡っていく徒歩15分。
もう一つの方法は、この速い流れを泳いで渡る5分。ただし、命がけ。
「あの水路は危ないさかい、サザエを捕りに行くにゃったら橋渡って行きなさいや!」
の母親の言葉と速い流れも何のその、友人たちと泳いで渡る5年生でした。
無謀な性格との付き合いはもう45年になります。

小学校2年生までは水に顔をつける事すら出来なかった僕ですが、4年生の臨海学校では遠泳が出来るほどに成長し、
河童と言われるほどの泳ぎ手でありました。今はただの浮き袋のようですが・・・トホホ。

収穫したサザエを旅館で焼いて貰ったり、浜で獲ったアサリをおみそ汁にして貰ったりと食べる事も海水浴の楽しみ。
浜へ向かう焼けた砂の道を、ゴム草履でぺたぺたと歩く。
防風のための松林が見えてくると、両側は野菜畑。
胡瓜・トウモロコシ・トマトが一杯の太陽をうけて、生ぬるい風に揺れている。妙に美味しそう。
旅館で
「あそこの畑のトマトが美味しそう。」
と話していると
「あそこはうちの畑やし、獲っても構わんよ。」
なんと食い意地のはった小学5年生。

翌日、早速浜に向かいトマトにかぶりつく。
独特の青い香りと甘酸っぱい暖かさが口いっぱいに拡がる。
太陽の味がする、夏の思い出。

先日、八日市の
『ハイロンサム酒場 蔵実』
の吉田伸二と勝手口で話をしながら、プランターで赤くなったプチトマトを食べた。
その瞬間にこんな話を思い出しました。

身も心も夏を感じる暑い日のことでした。