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意識
プロフェッショナル・・・専門的、職業的であること。また、その人。専門家。プロ。
アマチュア・・・学問・芸術・スポーツなどを職業としてでなく、趣味として行う人。素人。アマ。
と辞書にはある。
最近、プロとアマの差がどんどん無くなってきている様に思える。
これは音楽だけでなく全てにジャンルにいえること。
どんなジャンルでもアマチュアの人たちはその技術を高めるために、それに使用するための道具や器具、スタイルまでをプロ仕様にする。
そうなると、ちょっと見ただけではプロフェッショナルなのかアマチュアなのか判断できない人が沢山出来上がる。
その反対にプロには、いかにもプロです!と言うような打ち出し方を嫌う傾向がある。
その結果、両者の差がどんどん縮まって来ているのだ。
特に音楽はプロと言う肩書きだけで、免許証も許可証もない世界。
意識だけがそれを支配している世界なのだ。
警察官や自衛官のように制服があるわけではないから、意識するのもなかなか難しい。
下手に意識しすぎると
『天狗』
等というありがたくない称号を頂くことになる。難しい。
始めて自分の声の入ったレコードがでたのは1971年。
レコードが発売と同時に
『今日からプロや!』
を自覚したような気がする。趣味として唄うのではなく職業的であったからだろう。
「プロとはそんなモンと違う!」
と2〜3年前までアマチュアであったリーダーに諭されながら仕事に励んだものである。
自分のバンドのレコードが発売されたのが1975年。
その当時、大手メーカーからレコードを発売することが、プロの証のように思っていた。また思われていた。
発売日が待ち遠しかった。嬉しかった。
今振り返ってみて、当時本当に自分はプロであったのかどうかは些か疑問である。
詩も書いていたし、作曲もしていた。それなりの知識もあったし、大勢のお客様を集めることも出来た。
今の僕自身の基準で判断するなら、恐らくそのグループはアマチュアの最高峰程度であったように思う。
応援して下さったもなさんには申し訳もないが。メンバーもみんなそうだったように思う。
そのグループのメンバーも、個人個人の生き方を見つけたようだ。
一人は関西で屈指のドラマーとして、数多くのミュージシャンたちのサポートメンバーとして活躍している。
もう一人は、日本国内だけでなく世界的な評価を受けるフィドラーとなった。
僕自身あまり変わり映えはしないが、日本では唯一『Banjoの弾き語り』をするシンガーソングライターとして活動を続けている。
あの頃メンバーが、今のような意識や立場で活動していたらどんなことになっていたのだろうか?
押しも押されもせぬプロフェッショナルになっていたのだろうか?
それとも、手が着けられないほどの
『天狗』
になっていたのだろうか?
何かきっかけがあれば、3人で集まってゆっくり音楽談義を交わしてみたいものである。
と思っていた。
11月26日(日)正午。その日がやって来ることになった。
3人揃って会うのは28年振り。
場所は懐かしい近鉄百貨店。
KBS 京都が
『WAI WAI カーニバル』
の公開録音を行うという。
僕らの思い出を語るには、ちょうど良い場所かもしれない。
『ばっくすばにい再結成』
