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近所のスーパーに夕食の材料を買いに行ってふと思った。

僕の記憶が正しければ、えのきや貝割れ大根は高級食材であった筈。
『エノキダケ一袋¥68円』
いつの間にこんなに安くなってしまったのだろう?
貝割れに至っては、安値が続いた上に様々な噂もあり、もう店頭から姿を消しているみたいだ。

「高いもんやさかい、みんなで分けて食べましょ。」
と出されたエノキダケのホイル蒸し。
「美味しいし又食べよ。」
と言っても無視されたほどのホイル蒸し。

高級料亭のお吸い物の中に2〜3本、遠慮がちに浮かんでいた貝割れ大根。
そのお浸しはあまりの高価故、父親の前にしか並ばなかった。
一口貰ってもその辛さで子供達は敬遠した。
今でも錦市場の特定の店に行けば、貝割れ大根のホンマモンが買える。
高い。
吃驚するほど。けど、あじは昔食べたものと同じ。スーパーのそれとは似て非なる物。である。

生産者がそこに目を付けたのだろう。
大量に栽培する方法を編み出し、流通の発達と共に市場にあふれ出した。
高級食材の持つステータスが比較的リーズナブルに手に入れられるとなれば、消費者は飛びつく。
飛びつけば価格競争が起こり、当然安くなる。
その裏で、味や香りを犠牲にして。

ステータスだけを欲しがった消費者は、本物の味を知らずにいずれ食べ飽きる。
そして、次の犠牲となる食材を探し始める。
これではどんな物でも、その価値や存在価値を見失ってしまう。

勿論、それは食べ物だけに限った話ではない。
便利、安い、だけで食べているとそのうちおかしな事になりそうな気がした。

いつの頃からか僕は、旬を自分でこしらえる事にした。
「トマト茄子と胡瓜は夏にしか食べない。」
というものだ。
旬に旬のものを食べると美味しくて安い。
不思議なもで何年かこれを続けていると、体が旬の時期に旬の物を欲しがるようになってくる。
その為にひたすら旬を待つのだ。

年に一度だけ
『松茸』
も食べる。一度だけ。
ただし、その松茸は何でも良い。ではなく、京都三条にある松茸専門店で購入する京・丹波産のもの。
その年の出来具合を聞くと、専門店らしく丁寧に教えてくれる。
最盛期に買う。
一番安い時期を狙っての事だが、価格は決して安くない。年に一度ならそれも良いだろう。

松茸ご飯・焼き松茸・松茸のお吸い物と三種の神器を作る。
心の底から秋を感じる、納得できる香りが部屋中に拡がる。
もっと食べたいなぁ、で納めておく。

こうしておけば来年の秋も、自分の体が松茸の時期を教えてくれる。
これは値打ちがある。