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中立
こんな事を経験しました。
1993年の事。煙草を止めた途端に、喫煙者の行動が気になり始めました。
飲食店での煙草の煙・歩き煙草・禁煙場所での喫煙・ポイ捨てなどなど。
これまで自分もしていたような事が、煙草を止めた事で
『悪い事・非常識な事』
を自覚し始めたのです。何かが芽生えるように。
まぁ、ここまではありそうな話。
こんな事もありました。
山中越えで前の車が何気なく煙草の灰をはたきました。その灰がバイクで後ろを走っていた僕の目に入ったのです。
激痛!危なく事故になるところでした。
そんな諸々があってか、日を追うごとに車の窓から煙草をすてる行為が、我慢ならなくなってきました。
はじめは、煙草をすてた車にパッシングしてみたり、クラクションを鳴らしたりもしました。
勿論、ラジオでも言い続けました。
そんな事をしても、意識のない喫煙者にはなんの影響もないし、気付く事すらない。
そうこうする内にだんだん苛立ちを覚え、こう考え始めました。
『煙草を吸うようなヤツは、ましてその辺りに無意識にすてるようなヤツは、世の中の為に居なくなればいい。』
思ってから怖い考えだ。に気付きました。
世の中にとって良い事を考えて、自分がピュアになればなるほど、他人の考えや行動が理解出来なくなるのです。
ほら、大きな事件を起こした宗教団体などがその良い例です。彼等も世の中を良くしようとして、思い余って暴走したのでしょう。
地球環境を考えるあまりに、人のやることなすことを貶し廻っている、自然環境派に逢った事もあります。
感じ悪いだけです。いい事言うたはるのに。
かのアインシュタイン博士も
『世の中の全ての質量は決められている。』
と言うたはります。
自分にとっての悪はってなんだろう?それを無くすにはどんな解決策があるのだろう。
力で解決?理屈でねじ伏せる?色々考えた結果、辿り着いた結論は
悪を創り出さない。
『ニュートラル』
を決め込んだのです。
対立する二つのいずれにも属さないこと、中立。がニュートラルであると辞書にある。
学生時代にも
『ノンポリ』
を通していたから、以外と簡単だったのかも知れません。違うか。
そんな風に考え出して世の中を見てみると、色んなおかしな事が見えてきます。
本来ニュートラルな立場でなくてはいけないメディア。
何か事件が起こると、警察でも聞けないような事情聴取をして、この事件の当事者が悪いヤツであったかをアピールする。
その関係者も、まるで正義漢のようにインタビューに答えている。
『それが無くなったら、メディアは面白くなくなる。』
と言われるかも知れないけど、事実を伝えてさえ貰えれば面白い必要はない。
ニュートラルであれば、自分がしなければならない事の本質や、立場が見えてくるだろう。
自分のやった事、発言を何とか言い訳して救われようとする。
自分が良いと決め込んだ暮らしを邪魔するモノがあれば、親であろうが兄弟であろうが排除する。
これらの事は、みんな自分を正当化しようとする甘えの構造の様に思える。
ニュートラルであれば、真実が見えてくる。嘘をつく必要もない。
自分が悪かった時にはちゃんと謝れる。
早くそうなりたい。
