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Banjoのひとりごと63 Banjoのひとりごと64へ |
歩いて
久し振りに木屋町通りを歩いた。
そこに実家があるのに久し振りというのもおかしなモンだが、久し振りだから仕方がない。
正しく言えば、その日は車ではなかった。
散り始めた桜と、鴨川をどりの雪洞が何とも言えない日本の色。
歩いてみると、そこがどれほど素晴らしい場所であったかが良く解る。
今は若者が大手を振って行き交う町になった様だが、昔は若い人があまり歩かなかったようにも思う。
(昔は若者はこの辺りを歩く時は、コソコソと歩いていた。ウソ。)
芸子さんや、仲居さん、板前さんや、踊りのお師匠さん何かが多かったようにも思う。
木屋町に住んでいた頃は、近所の目が結構五月蠅かった。
「北村ハンとこのボン、最近派手な格好して歩いたハンなぁ。」
等と近所で評判になる。
京名物・門履きである。
夜になると団栗橋の袂に、いかがわしいお姉さんや、お姉さんのようなおじさんが立っていた事も思い出す。
「おにいさん、今帰り?」
と毎晩声を掛けられるので、
「僕の家はこの近くやから、毎日声を掛けるの止めてください。」
と言ってから
「こんにちは!」
と元気良く声を掛けられるようになった。
知り合いと一緒の時には特に困った。
仕方がないので、一度お姉さんを僕が誘ってご飯を奢った事がある。
それ以来、知らん顔をしてもらえるようになった。
おかしな思い出。
屋台を押しながらやってくる、一銭焼き屋(お好み焼き)のオッちゃんも居たなぁ。
薄〜く溶いたメリケン粉をしゃもじの裏で延ばし、ネギとちくわと天かすを入れたのが、確か10円だったように思う。
当時小学生だった僕らは10円握って、屋台を追いかけたモンでした。
大人の人が注文した、30円の肉・卵入りを焼くのが美味しそうで穴の開くくほど見つめていた事があったっけ。
そうそう、オッちゃん夏になると冷やし飴・冷やし珈琲・わらび餅・ところてんやに変わってたなぁ。
そう言えばあのころ親父に30円渡されて
「買うてきてくれ。」
と頼まれた
『しがらき』
と言うのもあったなぁ。あれ旨そうやったなぁ。
餅米を水につけて、さらしで作った筒に入れ込む。両端をくくって、そのまま蒸し器に入れる。
蒸し上がったら水に入れて冷やす。さらしを破って、糸で1センチくらいに切って青のり・黒ごま砂糖・黄粉などにつけて食べていたはず。
今食べてもきっと美味しくないんやろうなぁ。
リンタクの駐車場を兼ねた公園。
自転車に乗った紙芝居が来てた辺りも、すっかり綺麗になって清々してる。
なんの流行なのか、木という木にはクリスマスライトがついている。
アスファルトを張り詰めたの公園では、
『石・木・鉄(子供の頃遊んだ遊び)』
やら
『ビー玉』
出来ひんわなぁ。
僕の懐かしいという感情には無理があるのやろか?
モッペン、ゆっくりとした時代に帰る事は出来ひんのやろか?
桜の色だけが、昔と変わらない。そんな春が悲しすぎる。
