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Banjoのひとりごと66 Banjoのひとりごと67へ |
ありがたい話
学生時代になんの倶楽部にも所属しないで生きてきた。
中学時代に学校を変わった事、運動音痴な事もあって、クラブ活動における先輩後輩の付き合いは全くない。
高校時代も学校へは授業を受けにというより、出席を取りに行くようなもので学校の滞在時間はきわめて短かった。
その後もまともに学校に通った記憶は無い。
中学3年生から弾き出したギター・バンジョー・そしてドラム。
未だ付き合っているのはバンジョーだけ。
ひょっとしたら、誰に対しても、何に対しても心開かない性格なのかも知れない。
信じられないだろうが、人見知り。
初めて合う人には、絶対と言っていいほど心開かない。
自分でもイヤになるほど。
ただし、一旦心を開くと完全に甘える。
そして飽き性。
訳のわからん性格。
こんな僕を受け入れ続けてくれたのは音楽だけ。
『京都フォーク』の世界。ここに僕の居場所があった。67年から70年までのたった3年。
この3年がなかったら、今の僕は存在していないとまで思う。
70年からその姿を徐々にフェードアウトさせた『京都フォーク』
居ても立っても居られない気持ちで1988年に『なつかしのフォークソング同窓会』を立ち上げた。
学生時代には顔を見るくらいだった、名前を聞いた事があるくらいだった人たちが
「京都の仲間はエエなぁ。未だに僕等の事を先輩として扱ってくれる後輩が居る。」
と賞して下さった。
初めて僕に先輩と呼べる人たちが出来た瞬間。嬉しかった。何よりも。
コンサートが終わったステージで、先輩の「ようやった!」の一言で涙が止まらなくなった。
その後もコンサートをやる、やらないに関わらずこの関係が続いている。
6月4日のラジオ『北村 謙ニューフォークタイムス(KBS京都月〜木夕方5時20分〜5分間)』に
グリティグリーメンの中村好宏先輩から一通の手紙が届く。
「何時も楽しく聞かせて貰っています。出来たらPPM
の朝の雨を掛けてください。」
皆さんには解りにくいかも知れませんが、この番組で『京都フォーク』の話をしたら必ず名前が出てくるバンドのメンバーである大先輩なのです。
僕の事を思いながら手紙を書いて下さったのが嬉しかった。
リクエストに応えたPPM
の朝の雨を聞きながら、目頭が潤んだ。いろんな先輩の顔が浮かんでくる。
みんな同じように後輩を大切に思っていてくださる。
この年になって初めて感じた喜び。
『京都フォーク』の参加してきて良かった。皆さんの後輩で良かった。
昨日、平沼先輩から電話があった。
「『Banjoのひとりごと』最近全然書いてないけど、どうなってるンや?楽しみにしてるし、ちゃんと書いてや。」
用件だけを伝えて、ガチャリと電話は切れた。
