Banjoのひとりごと67                Banjoのひとりごと68へ

  大失敗

「謙!見てみ、上手いこと出来たやろ?」
高校時代、我が家にいたワイヤーへヤードフォックステリアの名前はイチ。
この犬を貰った先が一番最初に生まれたのでこの名前を付けたらしい。
当時この犬の毛をカットするのに¥3000ほど掛かったらしい。
そのカット代を惜しむ母親がカミソリで犬の毛を刈り
「上手いこと出来たやろ、イチも喜んでるわ。」
と自慢している。
そこにはカットのため押さえつけられていたのを開放された喜びからしっぽを振るイチ。
巻き毛で目立ちはしないものの所々に短くなり過ぎたところがあり、あるところはうっすら血さえにじんでいた。

話は変わって、イムジン河ショック以来、フォークルの虜となった僕は、彼らが出演する数多くのコンサートに出かけました。
楽しいギャグに大笑いし、最後にはいつものようにイムジン河を歌う。
「僕もこんな楽しいステージをやってみたい」
そんな気持ちがフツフツと湧いてきたのもこのころでした。

とある日のコンサートのパンフレットにこんな記事が載っていました。
それはフォークルバイバイリサイタルのお知らせと、解散記念LPハレンチ発売のお知らせした。このステージがもう見られなくなる、
でもイムジン河のレコードが手に入る。悲しみと喜びが一緒に来たようなそんな気持ちでした。
解散するのもはしょうない、とにかくレコードを申し込んでみようと電話をしたのがAFLコンサートの責任者橋田宣彦さんの所でした。
なんかの手違いで随分発売が遅れたようで、
「いつ発売ですか?」
「なんぼですか?」
などとしつこく電話するうちに、この人がコンサートでグループの入れ替わりの度に出てくる司会者、背の小さな面白いお兄さんやと言うことが判りました。
「君もなんかフォークソングのグループをやっているの?」
「はい」
と答えると
「そしたら1ペンコンサート手伝ってみいひんか?」
といわれ
「これでステージに上がるきっかけをつかんだ!」
と思い込んだ僕は、言われるがままに、橋田さんの愛車キャロルに乗って彼の弟と京都の夜の街でポスター張りに精を出すのでした。
許可も無く街灯や電柱に人目に付かないようにポスターを人目に付くように貼るのはちょっとスリルのある仕事でした。
けどこれもステージに立つためと自分に言い聞かせながら結構楽しんでいる僕でした。

とあるコンサートの前になって橋田さんから
「こんどスタッフでマイク運びをやってもらいたい」
の指令を受けました。なにはともあれステージの仕事ができると喜び勇んでいたコンサートの前夜、ふと髪の毛が気になりました。
「しもた、散髪いっといたらよかった。」
(今の時代はこんな思いはなくなってしまいましたが、その当時は若者でも何か晴れがましいことのある前には散髪にいったものでした。)
すると母親が
「私がやってあげよう」
というのです。
「レーザーカッターを手に入れたから簡単にできる」
とのこと、上手くいった完成のパンフレットを見てやってもらうことにしました。
最初のうちはうまくいってるような気がしていたのですが、そのうちズラリといやな音がしました。母親は笑いながら
「はげできてしもうた」
というのです。手で触っても明らかにその部分に肌の冷たい感触があります。取り返しのつかないことになってしまいました。
飼い犬の散髪技術から、頼むか頼まないかを判断するべきだった。今頃思いだしても手遅れでありまする。
「どうすんの明日初舞台やのに〜〜〜〜。」
はげてしまったものはどうしようもないものの、母親に反省を促すためのちょっと大層な一言でした。
「明日帽子かぶっていき」
と反省の色なし。
「もうええわ」
でこの1件は終わったようにも思われました。

その当時母親は
『もち料理きた村』
という小料理屋を経営しており、その店にはサラリーマンや学校の先生などに交じってたまには芸能人のお客様も来られていました。
たまたまその夜、店の常連で家族的なお付き合いをさせて貰っていた、小暮実千代さんがお越しになりました。
母親が笑いながら明日初舞台の息子の頭にハゲを作った話をしたそうです。
母親はハゲの面白さを話したつもりでも、そこは舞台人の小暮実千代さん
『初舞台』
と言う言葉を聞き逃すようなことはありません。

翌日、勤労会館にフォークコンサートには不似合いの立派なお花が届きました。楽屋はもう大騒ぎ。
「あの有名な美人女優から花束が届いた。」
「誰か事情の解る奴はおらんのか?」
「北村 謙って誰や!」
まさかマイク運びのスタッフに届いたものとは誰一人思わなかったようです。
(その当時楽屋に花が届くのはよほどの人気グループだったのです。なんと、それを上回る立派な花の盛り合わせ!)

コンサート終了後、その当時の人気アマチュアグループに混じって、楽屋口から贈・小暮実千代の札のついた大きな花籠を抱えて
毛糸の帽子をかぶったマイク運びの僕がにこやかに出てゆくのでした。

もちろんこの話は、そのコンサートに来ていた喋りの姉のおかげで、
「謙、マイク運びしてよった。」
がみんなに知れて(もちろん小暮実千代さんにも)大笑いのタネになるのでした。

口は笑い?の元であります。