Banjoのひとりごと68                Banjoのひとりごと69へ

  音

全ての音楽が成長を続けていたように思える70年代の日本。
ジャズ・カントリー&ウエスタン・フォークソング・ハワイアン・ポップスと
様々なジャンルの音楽が輸入され、切磋琢磨していた。
戦後まもなくはともかく、若者のファッションも音楽と平行して取り寄せられ、それらは当たり前のように一つの文化となった。

音楽の広がりは先駆者があり、後継者に受け継がれていくもの。
まさに伝統芸能等と同じであったと思われる。
少し違うのは技術や考え方がそのまま伝わるのではなく、伝わったものに工夫を凝らして
次々と新しい考え方やテクニックが生まれてくること。
それは未だ続いているようにも思われる。

多くのミュージシャンが、音楽を始めたきっかけをこう語る。
「父親がカントリー&ウエスタンのレコードを良く聞いていたのを覚えています。」
「深夜放送を兄弟で良く聞きました。」
「友達に誘われて始めていったコンサート。そこで聴いた曲が印象的で。」
勿論、僕もそれらがきっかけになっています。
これは、日本に限らず世界中のミュージシャンに言えることだと思います。
ドックワトソンしかりクラレンスホワイトしかりカーペンターズやビートルズもそうであったと聞く。

70年代半ばから「音楽がこれからの若者文化の中心になる。」と考えた企業が様々な商品を世に送り出した。
どれも、若者の気をひく商品ばかり。
それまでラジオやテレビの音声を録音するのには、オープンリールのテープレコーダーにマイクで録るしかなかった。
勿論周りの音も一緒に録音される。
当時の若者は、周りに頼み込んで静かにして貰ったものだ。
もっともオープンリールのような高価なものは、そう簡単に買えない時代でもあった。

あっという間にラジカセが発売された。
若者が一斉に飛びつく。
ラジオのエアチェックは勿論、コンサートの音も簡単に録音出来る。
ばっくすばにいのコンサートの舞台上に、夥しい数のラジカセが並んでいたことを思い出す。
その後ハウリングの原因がこのラジカセであることが解り、著作権問題も手伝って会場への録音機器が持ち込み禁止となる。
ダブルカセットの出現で、著作権の管理も一層厳しくなった。
ただどんな問題が起こっても、家庭内でそれらの音源は流れていたであろうし、ラジオからも家庭に音楽は送られていただろう。
「あんた、何聞いてんの?はよ勉強しなさい。」
と子供部屋に入ってきたお母さんの耳にも、その音は聞こえたはず、1979年の7月1日までは。

この日に世界のソニーがウォークマンを発表した。
持って歩けるステレオ、ヘッドフォーンを着けて歩くファッションは、瞬く間に若者文化の象徴となった。
若者はそのサウンドに驚愕し、各メーカーは競って新型を発表した。
その音圧に刺激され続ける若者、CD,MD,MP3と音圧は上がり続け高音や低音の周波数は不要品のようにカットされる。
今となっては好きな曲だけをダウンロードして、それだけを聞き続けることも出来る。
アルバムを買って、そのアーティストの他の曲を聴く機会も無くなった。
何よりヘッドフォーンで個人的に聴くので、次世代に伝えられる音楽、家庭内でのオンエアが無くなってしまった。

誰かに影響される事が音楽活動のきっかけになるとするなら、父親を反面教師としながらも音楽だけが共通言語となりうるならば、こんな世の中は悲しすぎる。
この先は誰にも影響されなかった、今よりもっと薄っぺらな音楽が蔓延るのだろうか?

音楽を愛する全ての若者にこう叫びたい。
ヘッドフォーンを捨て、自然に聞こえてくる音に耳をすませ!

みなさん今こそ、フォークソングやビートルズを大音量で聞こうではありませんか。

 

MFQの音楽を大音量で聴き、難聴を懸念してヘッドフォーンステレオを禁止した我が家の娘が、今では大のMFQファンであることを付け加えておきたい。