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Banjoのひとりごと71 Banjoのひとりごと72へ |
暗い
暗がりでは何も見えない。
当たり前のことのようだが、あまり経験をしたことがない。
強いて言えば、霧が立ちこめた闇夜の番に庭に出て見た時くらいだろうか。
最近ニューヨークでは視覚障害者の気持ちを理解するためにと、真っ暗がりのレストランや
暗闇の中でのパフォーマンスが行われているらしい。
「神戸・新開地にあるアートビレッジセンターで変わった落語会をやりますねん。来はりますか?」
と桂九雀さんが誘ってくれたのは、暑気払いの席。
『まっくらくご』
と言うネーミングのその落語会は9月1日に行われた。
楽屋に挨拶に行くと、桂九雀さんとお気楽フォークシンガーの西沢和弥くん。
そして、夜の部をつとめる桂花丸さん。みんなに初めての試みへの健闘を祈る。
地下にあるその会場は150人くらいの席数だろうか、既に一杯のお客様は手に手に蜜柑を持っている。これも何かの仕掛けらしい。
会館の人からご挨拶。
「初めての試みです。途中で気分が悪くなった方は、その場で手を挙げてください。」
「暗がりで手ェ挙げても見えへんやないあか!」
さすが関西!と思われるつっこみ。
「今回の催しのために、暗視モニターを設置しました。こちらからは見えておりますのでご安心下さい。
念のため痴漢行為や迷惑行為があった場合には係りの者が駆けつけます。」
なんと厳重な。
「携帯電話は勿論時計などの電子音は切って頂きますよう。そして灯りの出る物は鞄の中にしまってください。」
なんと細かい。
「それでは『まっくらくご』の開演です。」
〜出囃子〜
本来なら、パッと明るくなるのだが今日は徐々に暗くなっていく。
あらら真っ暗になった、九雀さんの前振り。
まずは西沢和弥クンの唄から始まる。暗がりで良く演奏が出来るものだと感心。
彼曰く
「家で目ェつぶって練習したんですけど、本番は全然違いましたわ。」
わかる気がする。
一曲終わっていよいよ落語。
皿屋敷が始まった。暗がりからの連想で九雀さんが選んだネタだが、怪談噺は明るい方が迫力がある。
途中、夜道を歩くシーンの効果が本当の暗がりに負けてしまったよう。
西沢クンの唄を挟んで影清。これが目が見えなくなった人が清水に願掛けする話。
この落語を聞きながら、今自分が目を開いているのか閉じているのかが解らなくなる。
きっと視覚障害の人はこんな気分なのだろう。
隣には確実に人の気配があり、笑い声や息づかいまで解るのに、何も見えない。
ただし、落語や唄の歌詞はすんなり体に入ってきて、想像力は見えている時の何倍にも膨らむ。
西沢クンの唄「真冬の出来事」は普段の何倍も面白かった。
最後のネタはは千両みかん。大店の息子がみかん食べたさに病みついてしまうお話し。
始まる前に、息子がみかんを食べるシーンでみなさんもみかんを食べてくださいとの説明。
僕はこんな時期のみかんは食べることが出来ない。何故なら酸っぱいから。
問題のシーンで会場のみんながみかんを剥いた薫りが、妙に旨そうであったのは嗅覚がとぎすまされたのか、
それとも演出の妙なのか。いずれにしても効果は絶大であった。
落語が終わり会場が明るくなると、九雀さんは洋服を着て立っている。
暗がりで着物を着ることもないし、鳴り物の手伝いをしながら喋っていたという。
自分の唄う場面以外、じっと座って待っていた西沢クン。
大変やったなぁ。
2部の花丸さんも明るくなった時の面白い演出を考えていたみたい。
それも見たかったなぁ。
終わってからのビアホールでも、暗がりでひとしきり盛り上がった。
僕と九雀さんと西沢クン、三人の感想は全く同じ。
「見えない方が見えるものが多い。」
だった。
