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MODERN FOLK QUARTETの
1日密着レポートです。
音楽雑誌LISNER'Sで紹介されました。
M.F.Qがやってきた
東京の北山修氏からFAX.が流れてきた。
「M.F.Qが日本に来るのん知ってっけ?」
「ほんまかいな!」と、ワクワクしながら送られてくる原稿に目を通すと、そこには東京・横浜・長崎の日程こそあれ、
関西方面のスケジュールが見あたらない!!今までにこんな悔しい思いをしたのははじめてだ。
居ても立っても居られない気持でBOMの渡辺三郎氏を通じ、浅田浩氏にTEL.
「我々の仲間が京都観光をプレゼントするから」
と言う話で、あこがれのM.F.Qが京都にやってくる事になった。
こんな嬉しい思いをしたのも初めての事でした。
12月15日午前11時32分、京都駅に大勢の修学旅行生を乗せた新幹線が滑り込むと、12号車からまず、
JERRY,YESER・JERRYの兄JIM,YESTER・そしてマネージャーのカズ坂本・HENRY,DILTZ・CYRUS,FARYER・同行のカメラマンGARY,STROBL
最後にCHIP,DOUGLASの7人が降りてきたとき、我々は既に20年の歳月を飛び越え17歳の学生に戻っていました。
声を2オクターブほ上ずらした挨拶を交わし、ホテルへ案内する。途中メンバーの一人がアスピリンを買いたいと言い出した。
ベースのCHIPが前日までの疲労と、新幹線の中でのタバコの煙で頭痛を訴えていたのです。
「大丈夫か?」
と問いかけると、彼は笑って
「大丈夫。今日のコンサートを楽しみにしていてくれ!」
と快く答えてくれました。
チェックイン後、朝食抜きの彼らをまず木屋町の
『もち料理きた村』
へ案内。店に着くまでの車の中で
「君たちの演奏を聴かして欲しい。」
のリクエストにお答えして、恥ずかしながらM.F.Qのコピーバンドブリーカーストリートクァルテットのリハーサルテープをかけてみました。
「故郷は心の町」
が始まると、CYRUSが
「この曲はレコーディングをしただけで、ステージでは一度も演奏した事がない。」
と言ったのには我々一同大ビックリ。しかもあのBanjoはHENRYではなくCHIPが弾いているという事実にも驚かされてしまいました。
何せ今までM.F.Qに関してはライナーノーツを信じるしかなかったのですから。
店に到着すると古い日本建築にSYRUSが興味を示していました。他のメンバーは京料理にいたく感動している様子。改めて挨拶を交わし
「我々はM.F.Qが動いている姿を見て感動している。」
と言うと、一同大爆笑。。和気藹々のうちに昼食を済ませました。
帰り際メンバーの誰かが
「素晴らしい料理を作ってくれたオーナーにプレゼントがしたい。」
と言い、いきなりコーラスで
「どうもありがとうございました〜。」
と唄ったのには、この店のオーナー(実は私の弟でもちろんM.F.Qの大ファン)も大感激でした。
腹ごしらえも済み、一路清水へ。
CHIPは今日のコンサートにベストを尽くしたいと大事をとってホテルで仮眠、途中合流した浅田浩氏と共に
『料亭土井』
のお庭見学。本来は超高級料亭で、我々が入れる様なところではないのですが、ここも土井月子さんが昔、モダンルーツシンガーズ(杉田二郎・佐竹俊郎)
というPPMのコピーバンドで、M.F.Qのファンでもあると言う事で、特別見せていただけることになりました。
亭内に入ると、やはりSYRUSは日本建築に興味があるらしく、最後には京都に別荘を建てて住みたいと言い出す始末。(これは実現しそうな勢いでした。)
HENLYはプロカメラマンらしく撮影隊会。JERRYとJIMは「ウムウム」とうなってばかり。同行の我々も立派なお庭や魯山人の壺などの美術品に感激。
こんなに素敵な物が見られたのもM.F.Qのお陰です。
「今夜のコンサートでまた逢いましょう。」
と土井さんと別れて二年坂から三年坂、HENRYに
「なぜ三年坂と言うのですか?」
と聞かれてタジタジ。京都人として少し恥ずかしかったかしら。
道すがら土産物店にあるユニークな顔をした人形や、狸の置物を見るたびに
「HENLYがいる、HENLYがいるとふざけるところはまさに何処の国のbandでも一緒、からかわれているひょうきん者はいつもBanjo弾き!
と言うのが定説のようです。」(ちなみに私はブリーカーストリートクァルテットのBanjo弾きです。)
そのひょうきんなHENLYに
「日本人は思いきった事をするとき『清水の舞台から飛び降りる。』と表現するんだよ。」
と教えてすぐ、彼は本当に
『清水の舞台から飛び落ちた。』
のです。大きなカメラバッグを掛けたまま急な階段の手すりに腰を下ろし、子供のように滑り降りる途中、なんと仰向けに落ち、
カメラをぶつけて唇を切ったのです。HENLYは血だらけ。傷は思ったより深く、4針も縫う事になりました。
「もう今夜のコンサートは絶対無理だ。」
と思ったのはこの時でした。しかし、救急病院から帰った彼は
「ステッチをしてくれた女医さんがチャーミングだった。」
などとひょうきんそのもの。
『なんちゅうやっちゃ。』
けど、元気で良かった。大分時間が押してきたので、慌てて夕食の招待を受けている
『天ぷらのよし川』
へ。ここのオーナーも大ファン故、例の
『どうもありがとう〜』に
合掌する程納得して頂き(きょうの『どうもありがとう〜』は物凄い威力やなぁ。)会場のフレンチ・クォーター・アライブへ。
着くが早いか会場は騒然。彼らは京都観光の疲れも見せず
『シングアウト』『牛追いの歌』『リューシュー』
等の懐かしいアコースティックサウンドを聞かせてくれました。会場は興奮のルツボ。
ソリャーなんてったて、20年もこの時を待ち続けた人ばかりが集まったのですから無理もありません。
「時間の壁を超えて、まさかと思ったM.F.Q.
と今、空間を共有している。」
皆そんな気持ちで聞いていたに違いありません。
7〜8曲終わったところで迎え撃つフーティラッヅ・ブリーカーストリートクァルテットの演奏。
そしてM.F.Q. とブリーカーストリートクァルテットのセッション
『スウィングダウン・チャリオット』
私の思い出に残る1曲になりそうです。
その後メンバーがノッテきて再び懐かしい
『ヨルダン河』『砦を守れ』『ムーンライトセレナーデ』
聞いた事もないハワイアンソングや『きよしこの夜』そして最後はやっぱり『どうもありがとう〜』で20年間待ち続けたコンサートは終わりました。
終わってからも皆にサインをしたり握手をしたり、長い間たまりに溜まった質問に答えたり。気さくなM.F.Q.
は、思った通りの素晴らしいグループでした。
ブリーカーが招待した打上げに、まだ頭痛の治りきらないCHIPまでもが快く参加してくれ、
又逢いましょうの握手をした時はすでに11時30分を過ぎていました。
「待っていた甲斐があった。」
と言ったとき、その日救急隊員を務めた我々メンバーと HENLY
の目にうっすらと浮かんだ涙が、妙に印象的でありました。
1988年12月15日
